学校教育から活かすべき社会人の在り方

キャリアの手助け

『何となく学んだけど、活かされていないことはありませんか?』

また、『悩んで動けなくなったり、傷つくことが怖くなることはないですか?』

私も学校で学んできたことって、普段あんまり使っていないなと思うときがありました。

そして行動することができず、塞ぎ込んでしまうほど自分自身に困っていました。

そんな私は今、一企業の人事・採用担当として4年ほど学生の方と接したり、高校・大学で講話をしたり、プライベートでは学生時代に熱中していた陸協競技の社会人チームで活動したり、少年自然の家でボランティア活動などをしています。

最近、私が大学で講義をさせていただく機会が増えた中で、大人(社会人)が教えてくれなくて、学生時代に教えてほしかったことをたくさん経験していることに気づき始めました。

そして人事・採用担当としては、就活に関する言葉や生き方・キャリアに関する様々な言葉を日々耳にしますが、最近は特に『多様化』という言葉で蓋をする印象があるように感じています。

今回はそんな『大人が教えてくれない、自分が社会人になって経験したこと』をテーマに私の想いをお伝えさせていただきたいと思います。

自分に関係ないことは、考え方次第で役立つ

学校で学んだことの中で、いま活かされているものはどんなものがあるでしょうか?

どちらかというと教科書に書いてあった内容よりも、同級生たちと一緒に学んだ体験から身につけたことを挙げられることが多い印象があります。

「文化祭でのチームワーク」「休み時間に遊んでいたコミュ力」「予習をして授業で答えを知っている優越感」などなど、たくさんの視点から学びがあり、現在にも活かされる土台になっていた能力が培えたのかもしれません。

そして嫌いだったものでは「暗記」「文学作品」「計算」などがよく挙げられます。

計算を素早く行ったり、たくさんのことを覚えていたりすることも日常に活かされているかもしれませんが、「この知識っていつ使うの?」ということの方が多いという意見も数多くあります。

私は学校教育というのは「根本を考える道具になるもの」であるのではないかと考えています。

「この知識をいつ使うの?」と疑問になることを、たくさんやらされてきたと感じていましたが、捉え方を帰ることで実はかなり使えるものになっていくというものです。

例えば「数学」を計算するというふうに活かすのではなく、「物事を考えるとき」に数学を使います。

就職活動での自己分析や何か判断が求められるとき、これからどうしたいかと考えたいときに、頭の中で数学の授業で使っていた「軸を引く」ということをして分析していきます。

今回はよく迷ってしまいがちな自分の中の「好きなことと嫌いなこと」について焦点を当ててみます。

「好きなこと・嫌いなこと」を「やりたいこと・やりたくないこと」に置き換えたとき、その中には「役に立つこと・役に立たないこと」があります。

では上記の軸から「右上・右下・左上・左下」に位置するものを見ていきましょう!

右上:好きで役立つこと

この「好きで役に立つこと」が自分がいまやっていることであれば問題はありません。

左下:嫌いで役に立たないこと

この「嫌いで役に立たないこと」はやらなくて問題ありません。わかりやすい不要なものです。

そして、問題となるのは左上と右上です。

左上:好きだけど役に立たないこと

この「好きだけど役に立たないこと」は、例えばギャンブルとかゲームとかなどです。楽しいですし、私も大好きですが、役に立つかと問われると微妙です。

右下:嫌いだけど役に立つこと

そして4つの内、1番問題となるのは「嫌いだけど役に立つこと」への向き合い方です。

これをやれば必ず役に立つだろうといわれるもので、嫌なことは数えきれないほどあります。

例えば、勉強することが嫌いでも、たぶん役に立つだろうと思えます。全てが役立つということではないとは思いますが、役立つこともあるでしょう。

先ほど「数学」をこのように活かすこともできると定義づけました。

『「数学」をする』ではなく『物事を考える』ときに使う

学校の授業で数学を漠然と学び、殆どの内容を覚えていなくても、軸を引いてマトリックスで表すことは何となく覚えています。

その当時にどのような問題でこの軸(関数やグラフ)の問いがあったかを思い出すことすら難しいですが、捉え方を変えることで「自分の悩みに対して見える化して考える」という場合などに役立てられます。

うろ覚えですが、私の過去の記憶を振り返ると、数学の問いで「直線と直線を交点を求めろ」という問題があったように思います(笑)。

この内容を日常生活の中で使うことがあるかと考えると、普通に生活をしていて「直線と直線を交点を求められる」ことはありませんし、常に考えてしまう場合があるとすれば何かしらの病気かもしれません(笑)。

普通に朝起きて「今日ちょっと直線と直線を交点を求めないと…。」と思うとか言い出したら、大丈夫か?って言いたくなっちゃいませんか?

しかし、交点を求めなさいということは日常になくても、何か悩み事があるときに、この直線が走っていた座標を「やりたい・やりたくない・役立つ・役立たない」と捉えることもできますし、そのように活用している人も世の中にはいます。

全てが役に立つわけではないものの、根本を考える道具になるものを学校は教えてくれる場所です。

しかし残念ながら「こんな捉え方ができるよ・こんなふうに使えるよ」と、学校では教えてくれませんし、ましてや点数をつけて「できた・できてない」の2択で判断するので、そういった環境を受けつけない人は拒否してしまいます。

それでも、自分なりに学んだことを上手く加工することで、一生役に立つことになると思います。

私自身、学校の勉強は大嫌いで嫌々のやらされ感しか持っていませんでしたが、社会に出てから、こんなふうに活かせるかもと、多少使えることはあると感じています。

このような活かし方・捉え方をやるべきとは言えませんが、そこにつながるような訓練をするために、何か本を読んだり、歴史を学んだり、気になることが出てきたら是非やってみてほしいと思っています。

「いまは関係ないと思っていることでも、考え方次第で役に立つことがあるかもしれない」ということが、実は世の中に溢れているということを言ってくれない大人が多いので…。

ゴールを見据えられれば、迷いなく進める

勉強でも仕事でも、自分が頑張れる「やれる量」は時間に比例して少ししかないと考えています。

「明日テストがある」「企画書を発表する会議まで残り3時間」など、期限付きの目に見えるゴールがあります。

しかし私は、この期限付きのゴールの裏に、見えない真髄のゴールがあるのではないかと思っています。

そして、その見えない真髄のゴールを見据えることができれば、効率的かつ迷いなく進むことができると考えています。

その考え方は期限付きのゴールを把握し、そこから逆算して物事を考えます。

この「逆算」から「物事(何かやるべきこと)」に対して、まずは「ここ」に行きつかないといけないという「ここ:見えない真髄のゴール」を決めます。

そして「ここ」へ行きつくために、いま何が足りないのかを考えていくと、上手くいくことが非常に多いです。

何故なら「現時点でこうなっているからゴールに向かって順番にこれをやろう」という考え方では時間が足りなくなり、大抵の場合は間に合わない(届かない)ことになります。

「ゴールに向かって足し算で行動する」のではなく「ゴールから引き算で考え行動する」ということが効率的に仕事ができると言われる人のパターンだったりします。

私の自動車ディーラー営業のときの経験談で、本来であればあってはならない事例を紹介します。

事前にアポイントを取り、明日商談を予定している(購入期待値:80%)

という状況において、購入を検討されている車のカタログ内容を全く理解できておらず、予習が足りない状況でお客さまへの説明に臨まないといけなかった場合、これは本来あってはならない状況です。

しかし、自分の業務は明日の商談以外にも業績報告業務や店舗演出企画、受注後対応など、カタログの内容を覚えること以外にしなければならない業務や保険資格試験の勉強など、他にやることを大量に抱えていて、たまにそういう状況に陥りました。

そうなった時に、そんな状態で予習をやらないといけないと考えて順序立てて行ったとしても、深夜か早朝までの時間制限であり、やれる量はわずかしかありません。

では、こんなときにどう考えるのか?

「見えない真髄のゴールは何か?」ということを考えます。

そうすると、今回の場合は「お客さまが満足する」さえ満たすことができれば、過程は何でもOKという極論です。

そう考えることで、その「お客さまが満足する」というゴールから逆算して私が使った手は…

商談でお客さまを前にしたときに「○○さんに寄り添った提案をしたいと思い、○○さんのお考えが少しでもわかるように、一緒に学ばさせてください」と言って、予習していないカタログの内容を一緒に見ながら行う

ということでした。

この場合、たまに「この機能って何?」と、自分にわからないものが出てきてパニック状態になり、予習しれあればわかったのに…と思うこともあるかもしれません。

ですが、そんなときにはお客さまと一緒にカタログの索引部分を見て「こういう機能のようですね。私も使ったことがある機能でしたが、専門用語だと分かりづらくてカタログの表現って不親切ですよね(笑)。」と回答していました。

そして、購入後のお客さまアンケートには「親身になって自分の購入したい車について説明してもらえた」といった内容をいただくこともありました。

本来であれば自分の決めた手順を守って、普段であれば2時間かけて予習をしているところを、時間がなくて30分の予習で今まで通りにやろうとしたら、商談説明の場は破綻していたと思います。

きっと「私の買いたい車のことを何も知らない、こんな営業から買いたくない」と思われるでしょう。

しかし「お客さまが満足してくれたらいい」というゴールに持っていけばいいと考えることで、そこから逆算して、本来必要な2時間を今は30分しか捻出できないけど予習すべきか?と問いかけることができます。

そして、その30分で「逆に満足させるにはどうする?」と、解決方法を考えてみたりすることで「何を最終的に実現しないといけないのか」を残り時間や予算の枠で考える事ができたりします。

そう考えることができたらなら「やれることはこれだけ!」と迷いなく進めることも多いので、まずはゴールを見据えて、絶対に完璧なものはできないということを頭の中に置いておくことが大切だと思います。

「目に見えるゴールではなく、目には見えない真髄のゴールを見据えておけば、できること・すべきことを迷いなく進める」ということも、言ってくれない大人が多いです…。

人とぶつかり合う中で成長することができる

価値感が合う人って世の中に何人いるんだろう?

「友人」「恋人」「コミュニティ」…。さまざまな場面で「人とのつながり」を考える際に、価値観が合うかどうかが求められているように感じます。

これは就職活動での企業選びでもそうでしょうし、プライベートでの結婚などでもそうでしょう。

確かに「価値観が合わないとやっていけない!」と思う場面(機会)はありますが、私は思ってしますのです…

本当に気が合う価値観が近い人は、世の中にそんなに何人もいる訳がない

家族(親、兄弟)ですら価値観が合わないのにどれだけいるのか?

そして、価値観が合う人が多いというのであれば、それは「どこかで合わせている人」なのではないかと思うのです。

さらには、仮に合わせているという人がいたとしても、そういう人といると楽しいと感じて、いつもの仲間といつもの場所でいつもの話を始めたら、これは人生の無駄ではないか?

こんな考えも新型コロナの自粛期間などから強制的に人間関係の整理がされてしまい、そう思ってしまうことが増えてきました。

どこかで気を遣って合わせながら、同じ話を何回もするために同じ人たちとよく出会って、会えば会うだけ同じことを話している人間関係…。

例えば高校野球の仲間が集まると、いつまで経っても「あの甲子園はな」と…。

その話、もう30回は聞いたよと。1回くらい減らしても人生には影響ないのではないかと思ってしまいます。

確かにその話をしているのは楽しいですし、昔の仲間を大切にしたいということも当然の感情です。

しかし私は、そのような時間を0にできているときに、とても充実していると感じます。

たまに会う仲のいい友人たちといろいろと相談したり、「お前そんなことやってるの?」「あぁ、なるほどね。じゅあそれやってみようかな。」などもありますが、仲良しこよしの居心地がいいだけの環境になってしまいます。

そして現在の社会は、居心地の良い仲間を非常に見つけやすい環境になったと思っています。

しかし残念ながら、世の中には好きな人もいれば、嫌いな人もいて、基本的には自分の思い通りにはならないことばかりです。

そんな世の中では、価値観の合わない人とぶつかり合う中で成長していけると感じていますし、その背成長が求めらえれているように思います。

しかし「とにかく傷つけられたくない」となると、自分が傷つくことのない一緒にいて居心地の良い仲間を探します。

そんな理想の仲間が近くにいない場合やそのコミュニティが現実になかったりすれば、ネットの中に探しに行けばいいです。

それでも、同じことに興味があって「お前すごいな」と褒め合って、居心地の良いぬるま湯にずっと浸かっていられる仲間の中にいると、少しでも何か言われると「酷いことを言われた」「あいつは私たちのことを認めていない」「許せない」となってしまいます。

人とぶつかり合う中で自分を磨いていく感覚がないと、基本的に自分の思い通りにはならないことばかりの世の中で生きていけなくなります。

個人的には「嫌なことを言う人にぶつかって行け!」と言いたいです。

古くさい考え方とかそういったことではなく、私の経験上ではありますが、嫌な人に突っかかって行って、叩き潰されて、そこでなにくそと挑んでいったときの方が、その中で得たものはすごく大きかったように思います。

そこで学んだことは…

“ そんなに自分が安全な場所にいて守ろうとするほど、守るべき自分はない ”

ということであり、「そんなに傷つけられるのが嫌なのかぁ」と、いまの子どもたちや学生を見ていて思います。

「人とぶつかり合う中で成長することができ、傷つくことは恐れるものではない」と伝えたいです。

さいごに

冒頭で何となく学んだけど、活かされていないことはありませんか?』『悩んで動けなくなったり、傷つくことが怖くなることはないですか?という質問をしました。

「多様化」の意識が広まっている中で、普段学校で勉強していたり、会社で働いていたりすると、考え方は凝り固まりやすくなると思っています。

今回お伝えしたことは「理想論じゃないか!」「根性論じゃないか!」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。

確かに「柔軟な考え方」や「強メンタルの考え方」は囚われた凝り固まった価値観かもしれません。

しかし社会に出て、自分だけが主役じゃないと気づかされたときに、どう考える・どう行動するかがポイントになるのではないかと思っています。

その考え方や行動が必ず良いというものではないかもしれませんが、自分の中で少しずつ何か変えてみることで、『自分の成長につながっていく』ことになるのかもしれませんね。

それでは今回はここまでです。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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