「常識」「非常識」から考える 自分のありたい姿

キャリアの手助け

『人から「そんなの常識でしょ!」「こんな常識も知らないの?」と言われたことはありませんか?』

私もこの言葉を数多くの方に言われ、鵜吞みにして信じ込み、行動できないときがありました。

そして行動することができず、塞ぎ込んでしまうほど自分自身に困っていました。

そんな私は今、一企業の人事・採用担当として4年ほど学生の方と接したり、高校・大学で講話をしたり、プライベートでは学生時代に熱中していた陸協競技の社会人チームで活動したり、少年自然の家でボランティア活動などをしています。

今回の記事では、塞ぎ込んでしまうほどの人の行動を制圧してしまう常識について、少し軽くできる捉え方としてご紹介したいと思います。

私は高校・大学と進んでいく中で、このように感じていました…。

“ そもそも、この人の言っている「常識」とは正しいのか? ”

しかし、とある出来事をきっかけに、私はこう考えています。

“ ときにはその常識を捨ててしまってもいいのかもしれない ”

このような自分なりの答えに行きつきました。

今回は私の高校・大学時代に経験した「常識」の価値観を、自分なりに見つけた『 失敗したときこそ、自分を褒めてみる』ということについて、私の想いを綴りたいと思います。

変わりゆく常識の捉え方

冒頭、1つの問いかけをさせていただきました。

「そんなの常識! こんな常識も知らないの?」と言われたことはありませんか? と…。

このコロナ禍になって最近、特に「行動を起こす」「このままではダメ」といった言葉をよく耳にするようになってきたように感じます。

そして、「常識」が通用しなくなっているとも感じます。

では何故、通用しない常識が存在するのかを考えると、幼稚園や小学校、中学校と集団生活の中で常識を学んできたからのように思います。

そして私は、高校生の途中まで「常識とは大人になったら守らないといけないもの」だと思っていました。

いまGoogleで「常識とは」と調べてみると…

「健全な一般人が共通に持っている、または持つべき、普通の知識や思慮分別」

と出てきます。

正に今まで学んできた「常識」そのものでした。

しかし私自身の現在の考え(この書かれていた内容)は、私の感覚ではズレています。

何故なら、常識にとらわれないことで可能性・選択肢が広がるからです。

そして「健全な共通知識」という点にも違和感を覚えるようなりました。

世界を見渡してみると、こんなことがわかってきました。

宗教がベースとなっている国が多く、宗教が異なれば常識も異なるということです。

簡単な事例では「豚肉を食べていい文化もあればダメな文化もある」「決まった時間にお祈りをする文化もあればない文化もある」といったものです。

さらに約80年前の日本の常識で、極論ならば「戦時中なら人殺しすら当時の常識」になっていましたし、約200年前のヨーロッパでは「奴隷制が常識」であり、今は正しくありません。

つまり「常識」とは…

国や時代で異なり絶対的なものでもなく、常に変化していくもの

なのではないか? と思うのです。

常識の捉え方を変えた出来事①

私が『ときにはその常識を捨ててしまってもいいのかもしれない』と思った出来事は高校2年生と大学3年生で起こりました。

1つ目の出来事は、高校での面白い国語教師との出会いからです。

私の高校時代より、ほんの少しさかのぼった中学生になった頃、学校では朝の10分間読書という読書習慣なるものが学校教育に取り入れられ、読書の後にホームルームがあるといったものでした。

そして私の中学1年生時の担任の先生が国語教師だったこともあり、「国語の点数を上げたかったら小説等の活字を読む読書がいいぞ!」と言いました。

私が漫画はダメかと聞くと、このような答えが返ってきました。

漫画は絵があるから想像力を生まないし国語力が下がる

私の中でこの言葉を聞いたとき、「確かにこの言葉は親からも言われたことがあったなぁ」と思い出し、私の中でも常識として捉え、そこから休み時間はひたすら小説を読書する生活が3年間続きました。

初めはハリーポッターなどのストーリーのある読みやすいものでしたが、中学生の終わり頃には夏目漱石や太宰治、村上春樹さんから源氏物語なども読んでいて、周囲にドン引きされていたように思います。

そして、高校生になっても朝の読書習慣が実施されており、伊坂幸太郎や東野圭吾、山田悠介さんの作品を読んでいたように思います。

それから約1年が経ち、ついに常識を変えさせられた出来事が起こります。

その日の当たり前のように休み時間も小説を読んでいた私に、少し早く教室に入ってきた国語教師が小説を読んでいる私を見てこう言いました。

「なんでお前は休み時間まで本を読んでいるんだ?」…と。

私は中学の国語の担任に国語を伸ばしたかったら漫画以外の本を読めと言われたことを伝えました。

そうすると、その国語教師は笑いながらこんなことを話してくれました。

残念ながら小説を読んだら想像力はつくかもしれないが、国語力は上がらないよ。

それに文字だけを大量に読みたいなら、その場面を想像しなくていいもともと絵がある漫画の方が遥かに文字を読めるし、時間も小説の10分の1以下になるんじゃないか?

その小説(文庫本)は1冊600円で、読み終えるのに1~3週間はかかるだろう。1日で集中しても3時間以上かかるんじゃないか?

でも漫画なら1冊400円で、読み終えるのに30分で済む。文字だけ大量に読むなら漫画の方が断然いいし、興味ない分野も絵があることで分かりやすいから、学びも漫画の方があるだろう。

この言葉を聞いて、私は衝撃を受けました。

そんな考え方をしたこともなかったし、周囲は漫画を否定したし、何より国語力を上げる要素は小説を読むことであり、想像力を豊かにするという常識ではなかったのかと。

そこから私は熱烈に漫画を読むことを始め、大学生となって一人暮らしを始めると生活費の大半を漫画につぎ込むようになり、講義中も1番後ろの席で漫画を読んでいる最低な学生となりました。

この後にも漫画についての続きはありますが、常識というのか価値観というのか、漠然と当たり前だろうと言われてきたこと・考えていたことが自分の中で崩れた出来事でした。

常識の捉え方を変えた出来事②

もう1つ、私の中の常識を変えた出来事は大学3年時の就職活動で起こりました。

大学3年生になったら就活するのは当たり前。今でも当たり前なのかもしれませんし、当時は起業するなんて学生もほぼおらず、就活は必須事項だったと思います。

そんな就活の真っ只中、私の大学時代の友人はこんなことを言い出しました。

俺、そこら辺の道端やその辺の公園でパントマイムするわ!

こう友人に言われた場合、あなたならどう思いますか?

私ははっきり言って「は? どういうこと??」と意味不明でした。

普通に考えて数何万円を学費として払った大学生活の集大成で、学んできたことを次の道を選ぶこの就活を辞めて、たくさんの経験をした大学を卒業するのに、その辺の道端で芸をしてお金をもらう意味が全くわかりません。

就職するのが常識ではないのか?…と。

友人のその言葉を聞いてから、数週間ずっと考え続けていました。

そして、その間にもアルバイトをし、給料が支給されたときに友人の考えに気づきました。

他者に迷惑をかけずお金を稼げるのであれば、それはアルバイトでも一般企業の正社員でも、たとえパントマイムであっても、全て立派な仕事ではないか?

私は就職しか考えていませんでしたが、常識を超えた発想で人生はさまざまな可能性・選択肢があるのだと気づけた出来事でした。

常識から外れることへの勇気

2つの出来事を経験した私は、このようなことを考えるようになっていました。

『常識ってなんだ?』…と。

そして、ネットや文献、書籍を読み漁るとだいたいの共通点としてわかったのは、偉人たちの言葉の中には「人に笑われてもやり続ける行動力」といったものでした。

確かにこの共通点のような言葉も、幾度となく聞いたことはありましたが、周囲にそんなことをやっている人がいないし、いたとても笑われていたり白い目で見られる変人・変態扱いです。

先ほど紹介した大学の友人も変人扱いで仲間はずれになっていましたし、私も奨学金を返すためにまずは就職しないといけないと思い、普通の就職をしました。

しかし、社会人になって常識の見え方が変わってきました。

2013年頃の当時、ニコニコ動画とYouTubeが一般的になり始めており、親世代からはゲームと同じで「そんな動画なんて見てるなよ!」と言われていた頃でした。

「常識はずれの変人」が「憧れられる輝いている人」になっている 

いわゆる変わったことをして注目される一般人が、自分の目に映る機会が増えたのです。

さらにその頃の私の漫画貯蔵量は8,000冊を超え、漫画オタクと笑われていましたが、ときどき「会社の同僚からオススメの漫画はない?」と漫画の貸し借りが始まり、漫画を通したコミュニティが広がっていきました。

そして「荒川アンダーザブリッジ」という作品に出会い、作中のキャラクターが放ったこの言葉に出会いました。

非常識って何? 他の人と違うところ?

だったらあの人は確かに非常識だわ。誰よりも非常識。

非常識だけど、非常識な生き方にブレがない。

なぜならそれが村長の中で一番本物の生き方だからよ。

自分の中の本物を貫けるって、格好いいでしょ?

~ P子 ~

この言葉に出会ってから、親にいつも言われていた「あんた、あの量の漫画をどうするつもりなの? 馬鹿なんじゃないの!」への反発心が、自分の中である想いに変わって溢れてきました。

常識内で生きていれば平穏な人生だけど、常識を超えてしまうけど、どうしてもやってみたいことがある

そんな、 いわゆる「夢中で本気になれる」というものでした。

私はこの想いである「夢中で本気になれるもの」というのは、自分の内側から溢れ出す本心であり、大切にすべきものだと思っています。

そうすると常識を超えてでもチャレンジ、行動してみないといけなくなります。

私には自分の漫画の知識を活かしたいけど会社的には副業はできない。でも、漫画の魅力を発信してお金が入ってきたら嬉しいなぁと考えていました。

そんなとき、ふと1つの「ひらめき」が降ってきました。

「漫画を動画で紹介したらどうか? それも副業はできないから誰かの裏方でやったらどうか?」…と

そして、大学時代の部活で陸上競技の全国大会に出場したときに出会ったとある漫画好きの人と、YouTubeで漫画紹介をしないかと2年ぶりに連絡を取り、現在は行っていませんが、それから5年ほど漫画紹介のYouTubeを開始し、裏方で漫画レビューをしまくる担当として関わってきました。

収入はその漫画好きに一括で入るようにし、その人から私の欲しいものを買ってもらうという生活を4年ほどし、その間に漫画貯蔵量は50,000冊ほどになっていたように思います。

私は、この「ひらめき」と「ひらめき」から起こす行動が大切だと思っています。

また、その「ひらめき」を活かすために、「常識」からかけ離れた「非常識」として周囲に笑われた漫画収集をやめずに続けていたことが繋がった出来事でもありました。

さいごに

「ひらめき」と「常識」について最後にお伝えしたいメッセージがあります。

何かについて深く考えたり、悩んだりしているときに「ひらめき」というものが降ってくるときがあります。

この「ひらめき」とは、「自分の脳が、自分のために考える、自分だけへのメッセージ」です。

一瞬で消えてしまうかもしれない、とても大切な宝物であるとも思います。

もし「常識」にこだわって従い過ぎると、このひらめきを活かす行動ができなくなり、壁を越えられなくなります。

その思い立った行動力をかき消す壁とは、「周囲の人が作る身内の壁」です。

この身内は親族だけでなく親しい友人や仕事の同僚などの周囲の人も含まれます。

身内の壁は何かをしたいと言い出したときに身内からの反対の声です。

「は? いま何て言った?」「そんなの常識的に無理、やめておけ!」…と。

何かしたいことが見えたとき、身内の壁を説得できるかの勝負になります。

身内を説得できなければ、その後にある「本当にやりたいこととなる大きな壁」に対して、自分自身を説得できなくなります。

せっかく人生について考えさせられる「就活」という機会において、仕事やプライベートがどうありたいかを考え、そんな中で素敵な出会いや素敵なひらめきが降りてきたのに、常識的に反対されそうと諦めないでほしいです。

もし、今までに諦めていることがあったら、今から行動して素敵な人生を掴みに行ってみてください!

答えがあるわけではありませんが、常識なんかにとらわれず、自分のしたいことをすることが自分の人生の勝ち方なのかもしれません。

私が好きな名言でこんなものがあります。

たとえ常識が否定しようと、自分自身が肯定してしまえば、それだけで世界は変えられるのさ

『非常識を形にする』ということは、もしかしたら自分を貫いた生き方で、カッコいいものなのかもしれませんね。

それでは今回はここまでです。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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