「コンプレックス」から考えるありのままの自分と可能性

キャリアの手助け

『あなたのコンプレックスはなんですか?』

こう問われたとき、あなたはどのように答えるでしょうか?

また、あなたにとってコンプレックスはどのような存在でしょうか?

私は小学校高学年から高校生までずっと、コンプレックスに対して深く悩み、考え込んでしまったためにメンタル不調に陥っていたことがありました。

そんな私は今、一企業の人事・採用担当として4年ほど学生の方と接したり、高校・大学で講話をしたり、プライベートでは学生時代に熱中していた陸協競技の社会人チームで活動したり、少年自然の家でボランティア活動などをしています。

「コンプレックス」は誰にでもあり、その捉え方もさまざまですが、周囲の目を気にし出すといてもたってもいられなくなり、より一層の深みを増した悩みの種となって塞ぎ込んでしまう方も多くいます。

容姿、性格、体型、口癖 … etc.

これらのコンプレックスに対して私はこう思います。

コンプレックスを可能性に変えて幸せになれるのでは?

私自身、塞ぎ込んでしまいたくなるような経験をもたらしたコンプレックスが、今では違った世界を見せてくれる可能性に変わった出来事がありました。

今回は『コンプレックス』というお悩みについて、私自身が考える『可能性に変えて幸せになれる特長』をテーマに私の想いをお伝えさせていただきたいと思います。

コンプレックスがもたらす負のループ

冒頭、1つの問いかけをさせていただきました。

『あなたにとってコンプレックスはどのような存在でしょうか?』 と…。

容姿、性格、体型、口癖など、きっと多くの人が持っているものであるのだろうと感じますが、実は本人にとってはとても気になる要素で表に出さないものではないでしょうか。

私は小さい頃から人前に出ることが大好きな自分大好きの超目立ちたがり私は、すぐ友だちを作って場中ことやっていました。

また学校生活では、学級委員や生徒会長など目立つことに積極的に手を挙げ、そんな幼少期を経験したからか、今は人事・採用活動での説明会や採用活動の一環としても大学などで講義をするなど、人前に立つ仕事が自分らしくいられる瞬間です。

しかし、ゲームのし過ぎか漫画の読みすぎか、はたまた勉強のし過ぎか、小学校4年生の頃に視力が低下し、ものが見えづらい状況になりました。

そして、周囲に眼鏡をかけている人が変な目で見られていた環境もあり、眼鏡をかけたくない思いで、ずっと目を凝らしながら黒板を見たりTVをみる習慣が身につきました。

そんな習慣で少していたことで、私の中では思ってもみなかった言葉が家族や友だちからかけられたのです。

お前、めっちゃくちゃ目つき悪い(キツい)ぞ! なに怒ってんの?

普段から陽気で楽しくてしょうがないくらいニコニコしていると自覚していた私は、「えっ、そんな風に思われてるの?」と感じました。

それでも、その声をかけられたときだけだと思い、そのまま気にせず生活を続けていましたが、周囲の環境が徐々に変わり始めました。

学校では今まで楽しく遊んでいた友だちが、「いつもキレてる感じの表情で言葉にも棘がある」と、友だちが離れていき、家では家族から毎日のように「何睨んでるの!」と言われるようになりました。

そして、その出来事をきっかけに、「目つきの悪さ」それを隠すために、楽しくもないのに無理してニコニコと笑顔でいることを身につけてました。心をすり減らしているとも知らずに…。

いつもニコニコしている習慣が身につきはしましたが、イライラが募りストレスを感じるふとした瞬間に、目つきのキツい表情が無意識に出ていたようで、中学性・高校生となったころには、急に周囲を驚かしてしまうようになり、他者と自分を比べては、何故自分はこんなにも目つきがキツいのだろうと落ち込むことようになりました。

それから高校生後半の時期は、誰かから「目つき悪いぞ」と言われようものなら、全く眠れなくなり、ずっとそのことだけを考えるようになりました。

ここからさらに負のループは加速していきます。

インターネットの普及に伴い、乗っている情報で効果がありそうなものを片っ端から試してみるも全く効果はなく、情報に踊らされただけになり、またそのストレスでさらに目つきは悪くなっていきました。

そして、そのころからは大好きだったはずの人前に立つことなんてもっての他、、友人たちに会うことさえ嫌になり、私の中で心が蝕まれていくのが手に取るようにわかるようになっていました。

コンプレックスの捉え方を変える

心が蝕まれ、メンタルに支障をきたす日々を過ごす中で、ふと疑問に思いました。

私はどうしてこんなにも悩んでいるのだろう?

この考えの中には、「何故、目つきの悪いことが一般的に悪いことなのか?」と、逆ギレに近い状態だったかもしれません。

インターネット広告などでよく見るのは、「昔はこんなにも悪かったのに、今はこんなにも良くなりました!」といった悪かった時期を否定して、それを克服したシンデレラストーリーばかりです。

そして、そんなシンデレラストーリーに近づきたいと調べれば調べるほど、そのシンデレラになる前の時間が大切なのだと捉えているものがあまりないことに気づきました。

確かに時間による癖の克服などで直るかもしれません。

しかし、気になり出して自分が思い込んでしまったものは1日2日でどうにかできるものではありません。

その長期戦になる期間は、「人前に出てはいけないのか?」「自分らしく人生を楽しんではいけないのか?」と考えるようになり、私は違うだろうと思いました。

シンデレラになる前の自分も自分であることには変わりなく、そこには1分1秒同じように時間が流れているはずなのに、まるでその時期に「不幸というレッテル」を貼り、人目を裂けてしまう時間を私はこれ以上過ごしたくないと思いました。

今この瞬間も、そして私がこれまで過ごしてきた時間も、全て私自身の一度きりの人生であると信じたかったのかもしれません。

大学生になったとき、「いまコンプレックスを直そうとしている自分をさらけ出そう」と弱みをどんどん見せることを決意し、勇気を振り絞って、大学生となって関りを持った周りの友人たちに自分の目つきの悪さというコンプレックスについて話をするようになりました。

そのときの友人の反応は、今も鮮明に覚えています。

いや全然気にしてないよ、そんな人いっぱい居るっしょ!

とかなり軽い感じで、少し拍子抜けでした。

しかし、それこそよく考えれば当たり前のことなのかもしれません。

人はそんなに自分以外に興味はなく、興味が出てくるのは関係性を深めたいと思ったときか深まったときなのではないかと思います。

そして、関係性が深まった状態で何か突拍子もないことがあれば驚かられるようになるのかもしれませんが、大人になってたくさんの人と出会っていく中では、「コンプレックスはそんなもの」になるのです。

しかし、そんな当たり前のことが霞んでしまうほどのトラウマを植え付ける側面と、いきなりそれらをなかったことにできる側面を持っていることがコンプレックスの恐ろしさなのかもしれません。。

私はどんどん「自分の目つきの悪さが気になるんだよね」と人に話すことで受け入れられ、少しずつ自信がつくといった、プロセスを積み重ねていった頃、突拍子もなく「お前の目つきが悪い!」と教授から指摘を受けました。

ですが、そんな言葉をもらっても、私の心は不思議と落ち着いていて、落ち込むことはありませんでした。

コンプレックスを感じているときでも、人に受け入れられ、自分自身を好きになっている感覚が少しずつあったからだと思います。

そして、そんな日々を過ごす中でふと思いました。

もしかして「コンプレックスをさらけ出したら幸せになった?」と…。

この一見逆説的に見える流れの中に、私は自分らしく生きるためのヒントがたくさん隠されているのかもしれません。

ありのまま生きていくための3つの法則

コンプレックスをオープンにしてみることで、勇気はいりますが新たな発見があります。

そしてこれは、別に不特定多数の前に出すということを意味しているのではなく、あくまでも選択肢の1つとして、家族や友人、パートナーとコンプレックスについて話してみるということです。

そうすることでコンプレックスにとらわれず、ありのまま自分らしく生きてくいくことができると考えています。

その「あいのままを生きていく法則」として3つのことをお伝えしたいと思います。

① コンプレックスは自分の偏見を映し出す鏡である

自分は何故それをコンプレックスだと思ってしまうのか、そして悩んでしまうのかを一度じっくりと問いかけてみてください。

私は自分自身で感じていた目つきの悪さが、相手に不快感を与える可哀想な人だと思われるのが辛かったです。

この目つきが悪い = 不快感を与える可哀想な人

このレッテルは、私の中にあった紛れもない偏見だったことに気づきました。

社会はさまざまな思惑が渦巻く中で、こうあるべきという偏見を私たちに植え付けています。

体型は細い方がいいだとか、いつも親切でいた方がいいだとか、肌は綺麗な方がいいだとか、いつも笑顔でニコニコとしていた方がいいだとか…。

もちろん、その理想を追い求めるためのアクティブなエネルギーはとても輝いています。

しかしそれは、しないといけないことではないのではないでしょうか?

世界を見渡せば、自分はこうあるべきという理想が180度ひっくり返ってしまうことなどザラにあります。

例えば「あなたは小顔ですね」という言葉は、日本人は喜ぶ人が多いですが、欧米の人は褒め言葉にならないそうです。

自分がこうあるべきと創り出した理想と、その現実との間にある劣等感を人はコンプレックスと呼ぶのだと思います。

私たちはある種、自分で創り出したものに自分から悩まされに行ってしまうという、滑稽な生き物なのかもしれません。

② コンプレックスを認め、そんな自分も肯定してあげる

私をはじめ、多くの人がコンプレックスは隠すべきものと捉えてしまうと思います。

それはどうしてでしょうか?

理由はいくつか思い当たるかと思いますが「コンプレックスを認めたくない」「悩んでるところを見せたくない」などでしょうか。

そして、こんな方もいるのではないでしょうか?

コンプレックスを醜いと感じてしまう自分を認めたくない!

これは先ほどお伝えした、1つ目の「自分の中の偏見」ということです。

私の場合はそうでした。

「目つきを醜いと感じている自分」と「目つきが悪くなっている自分」のどちらにも嫌気が差してしまっていました。

そうするとまるで自分が汚く、卑屈に感じているように思ってしまっていました。

毎日を頑張って生きている人であればあるほど、そんな偏見を抱えている自分を認めたくないと思ってしまいます。

そんな人に陥りがちな罠が「無理やりポジティブに持っていこうとする」ことです。

いつも周囲にニコニコして優しく、誰よりも早く動き、ちょっと辛い瞬間があったとしても、根性でなんとかなると考え、そうあるべきと頑張っている…。

そこから生まれるネガティブな感情に気づかないフリをしているのです。

気づいてしまえば、自分が醜く思えてしまうから。

しかし、それは本当に恥ずかしいことなのでしょうか?

私も同じようにモヤモヤしていたとき、友人がこんな言葉をかけてくれました。

生ゴミを押し入れにしまっていても、いずれ腐って隠しきれなくなってしまう。

その存在にきちんと気づいて、適切に扱ってあげることが大切なのでは?

この生ゴミというのが、「自分がコンプレックスを通して抱くネガティブな感情」と言い換えることができると思います。

普段の生活の中で、生ゴミをきちんと捨てる行動をしている人がほとんどかと思いますが、それはごく自然なことであり、同じように何かと向き合っていれば、前向きでいられなくなる瞬間もあると思います。

そこから無理に目を背けることは健康でなくなります。

きちんとゴミ箱に捨ててもいいし、土に巻いて肥料にしてもよく、自分なりのアプローチで自分のコンプレックスに、ありのままの感情で寄り添ってあげるといいと思います。

私の場合は目つきを醜いと感じている自分と、目つきが悪くなっている自分をあえて否定はせず、そんな状態でも朝起きてご飯を食べ、用事があれば外に出かける。

そんな自分を褒めてあげるようにしました。

そして頑張りたいときだけ、目つきに対して意識してみるといった感じで頑張り、意識することをサボったときはそんなときもあるよねと大丈夫と褒め、そして人に話すことで受け入れられるというプロセスを繰り返し、目つきの悪さは私の一部になっていきました。

そして、このプロセスは心理学の分野でも裏付けられています。

『セルフコンパッション』というものです。

「セルフ」は自己、「コンパッション」は共感や理解という、一言でいうならば「自己への思いやり」です。

自分に思いやりを向けることを経て初めて、他者に思いやりを向けることができるという価値観に基いています。

しかしすぐにやろうとしても、少し難しいものなので気軽な方法を1つご紹介します。

いま自分と同じコンプレックスで悩んでいる人が目の前にいたとき、あなたはどのような言葉をかけますか?

まずはその言葉を自分自身にかけてあげてください。

無理やりポジティブ思考になる必要はありません。

大切なのはありのままの感情に寄り添い、それを認めてあげた後で、その感情を消化してあげることです。

生ゴミとセルフコンパッションという2つの概念を通して、コンプレックスを認め、そんな自分を肯定してあげることを心掛けてみたいところです。

③ コンプレックスを自分の可能性に変える

①と②では、「コンプレックスをどう扱うか」についてお伝えしてきました。

『マイナスであるものをできる限りゼロに近づける』という思考です。

しかし私は、コンプレックスが更なる可能性を持っているものだと気づきました。

セルフコンパッションの概念でお伝えしたように、自己へ思いやりを向けることを経て初めて他者へ思いやりを向けることができます。

自分が悩んできた時間や自分のコンプレックスそのものは、丸ごと自分と隣の人を繋ぐ架け橋になってくれます。

コンプレックスを発信したり共有することで、自分の一部になるだけではなく、個性に変わっていきます。

コンプレックスは他者の共感を呼び、他者を巻き込んで、ありのまま幸せになれるツールと捉えることができると思います。

さいごに

コンプレックスは他者の共感を呼び、他者を巻き込んで、ありのまま幸せになれる

これが、私がコンプレックスをオープンにしてみるのはどうかという1番の理由です。

人に話せないと思っているほど辛いもの、トラウマになってしまっているコンプレックスがあったとしても、その存在にきちんと気づいて、そんな状態の自分を認めて寄り添ってあげること。

そしてそれは「自分だけでなく、他者も含めて丸ごと幸せになる」そんなエネルギーを秘めているということ。

シンデレラになる前の「辛いと感じる」どんな瞬間も、自分の人生の大切な一瞬になると思います。

『コンプレックスを可能性に変えて幸せになる』という、そんな昨日までとは違った1日を、今日ここから一緒につくれたら嬉しいと思っています。

それでは今回はここまでです。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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