ムリ・ムチャ・ムダは無駄じゃない

キャリアの手助け

『あなたの性格や欠点は何ですか?』と問われたとき、どう答えるでしょうか?

そして、その答えに詰まったり「うーん、特に思いつかないな」と考えられた経験はありませんか?

私自身も就職活動や教育を行う現場において、自己分析をする際にすぐに出てこず考え込んでしまうたことがありました。

なかなか思いつかないとしんどくなるし、「本当にその答えが必要なの?」と思っていました。

そんな私は今、一企業の人事・採用担当として4年ほど学生の方と接したり、高校・大学で講話をしたり、プライベートでは学生時代に熱中していた陸協競技の社会人チームで活動したり、少年自然の家でボランティア活動などをしています。

今回の記事では、私が社会人になって『学校の教育現場(教育実習)』活動での経験の中で新しく芽生えた価値観…

“ 性格を導くことで、自分を信じる価値がある ”

という、自分なりの答えに行きつきました。

今回は私が経験した価値観の変化について、私の想いを綴りたいと思います

現在進行形で形成されている価値観

まず初めに、私の自己紹介として、私の性格や欠点をお話したいと思います。

自己分析をしていく中で導かれた私の性格は…

「ひねくれていて、決して素直ではない」さらに「集団行動は上辺は特で実はかなり苦手であり、すぐにムキになる」という感情型タイプだということを見つめ直しました。

他にも「ウロウロと歩き回ることが好き」であったり、「諦めが悪い」「計画性がない」など、挙げればキリがないほどいっぱいあり過ぎて困ってしまうぐらいでした。

では、これらはどこでどのように形成された性格・価値観だったのか…。

それは育ってきた環境や周囲にいた人たちというのことが一般的に言われていますが、

私は「現在進行形で形成されている複雑なもの」なのではないかと思っています。

例えば、普段から何も気にすることなく履いている「靴」に突如興味を持ったとき、二足歩行の動物が考えた「靴」ってものすごくエグいものなのではないかと感じました。

「普段から気にしてもいないもの」に興味を持つこと自体は、何かニュースをしていたり、広告を見たり、人から聞いたりと何かのきっかけで始まることが多いと思います。

そして、そこからどのように発想して、その発想が自分の価値観をいきなり変えていくことになると捉えているからです。

先ほどの靴の例では、オシャレであったり、山を登る靴や走る靴などじゃるんにに合わせて機能的であったり、国によって家に入るときには脱ぐ・脱がないといった文化が形成されていたりと謎の価値に惹かれるところあります。

さらに例えるならば、海外旅行に行った友人が別人のようになって帰ってきたという方はいませんでしょうか?

まさに現地で経験したものによって性格や価値観が変化したのだと思います。

そして、それは現在進行形で変わるのもであり、自己分析をしていく中でも常に変わっていくものなのかもしれません。

性格・価値観から起こる行動

私にはたくさんの癖や変な性格がありますが、もともと教員(教育者)を目指していました。

教員は今でもカッコいい仕事だと思っていますし、誰しもが学校や施設などで「先生!」と呼ばれる最高の仕事だとも思っています。

そんな教員が働く現場は、実は想像以上にブラックな状態が続いています。

日本のデザインはカートリッジである

この言葉に出会ったとき、私の頭の中に強烈に入ってきました。

ちなみにこの言葉はイタリアのデザイナー巨匠である、ジョルジェット・ジウジアーロさんの言葉です。

この言葉を聞いて、日本の成長・発展として民間企業はサイクルがとても速く、教育現場は以上に遅い現状が、あくまでも広報的な分野はスポンサーの商品を売るための仕事なのであるため、教育現場にはそれがないからではないかと思いました。

そして、そんな生命の源であるカートリッジを創っていく分野は「学校でない教育」ではないかと思うのです。

この言葉に出会ってから、私は前例のない取り組みを始めました。

“ 教育現場に部外者を基本的に入れない ”という、どこの学校で聞いても「ムリだ、ムチャだ、ムダだ」という部分に対して、自分なりの視点を持って入って行こうと考えました。

たくさんの人と出会ってきて私が感じていることは、意外と石橋は叩くけれども渡らないということす。

そして私は、それが非常に寂しいと感じていますし、私自身は石橋を叩かずに渡っちゃうタイプです。

非常に性格がひねくれていて、みんなと同じような集団行動が嫌いという欠点が、適当で安心を求めずに渡っちゃうという行動をとります。

そんな石橋を叩かず渡っちゃった私の経験は、社会人でありながら教員免許取得のために教育実習に訪れていたときのことでした。

自分で考えたプログラムを行っている先生がおらず、基本的に学習指導要領に基づいた授業を行い、生徒たちはつまらなそうにしていました。

そんなとき、客員授業ということで外部の方が講師として参加されている場面に遭遇し私はこう思いました。

外部講師で授業を乗っ取れないか?

それから教育実習を終え、教員免許を習得した後も教職には就かず、教育現場に部外者として足を踏み入れることを虎視眈々と狙っていました。

そうして外部講師が求められる場面に遭遇した際には、絶好の機会と捉えて自分がやりたい(伝えたいこと)を形にし、実らない提案を試行錯誤しながら続けていました。

そして入り込めた機会にはチャンスとばかりに他の先生の授業でもできないのか、アンケートでの生徒たちの反応は?などの活動の声をさまざまな関係各所に伝播しまくる活動を広げていると、この活動を私の学校でもできませんかとその先生の友人の先生から声をいただきました。

ただ、残念ながら試行錯誤の時期には、学校のお偉いさんたちや一部の教員の方からキツい言葉やお叱りを受け続けたことでもありました。そのお話はまた別の機会に…。(笑)

欠点と捉える性格から価値を見出す

私は自分の性格や価値観から起こる行動については誇りを持っていますし、行動・活動をしてみる中でさまざまな気づきがありました。

教育現場の中に入ってく活動を通して、1つの学校だけではなくさらに新たな場所へと繋がっていったことで、あくまでも何かをプログラムなどを引っさげていくのではなく、ニュートラルにその場所が望むもので私ができることをしようと常に考えています。

しかし、そうするとそこでは創造力が求められるようになります。

「ハードルは非常に高いく、求められているモノが何となく似ているようで少し違う」といった、この少し違うという部分がギャップとなり伝わらなくなっていきます。

それでもハードルを越えたとき、克服できたときは自己満足の極みであり、ハードルが高ければ高いほど楽しいと感じていました。

何故なら、ひねくれてムキになっているからです(笑)。

いろいろと経験してきましたが、何か1つのものを作り上げようとするときには、さまざまな経験や自分の欠点と思われる性格を1つの部品としたときに、それをどうやって結びつけるかで形ができてくるのではないかと思っています。

そのときの1つの工程、1つの作業それぞれが、何か1つでも抜けてしまったら不完全で完成しないのではないかと思います。

そして、その無心になって行う作業にどれだけの価値があるのかと捉えています。

仕事をする上で「作業は価値を生まない、仕事は価値を生むことである」と言われたりすることもありますが、『その作業に価値を見出すことが面白い』と私たちは出来上がったものにとても価値を感じてしまうかもしれません。

しかし、そうではなく何かを完成させるためにしている思考・行動という、1工程の1作業を無心になってやっている自分が、自分自身を育てたり支えてくれています。

そのプロセスに自分の欠点と思われる性格までが役に立ってき、1つのツールとなっていきます。

アイデアの1つを行動に移すとき、またそれらを無心になってしているときに価値が生まれる

こんな思考・行動に対して、そんなの「ムリ・ムチャ・ムダ」だよと言われることは多々あるでしょう。

しかし、世界人口:72憶分の1である、自分を信じる価値はあるかもしれません。

さいごに

冒頭の質問である「あなたの性格や欠点は何ですか?」と問われたとき、改めてあなたはどのように答えるでしょうか?

また他者から、そんなの「ムリだよ」「ムチャだよ」「ムダだよ」と言われたときにどのような思考・行動になるでしょうか?

性格を導くことで、自分を信じる価値があるを体験するにはまずやってみないとわからないし、やるかやらないかも自分で選択できます。

他者から見て無謀であることにも、自己分析をしながら一歩踏み出してみることで、自分の中の世界は変えられるかもしれません…!

それでは今回はここまでです。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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