『私たちは何故、子どもたちに教育するのでしょうか?』
私は大学院で教育について深く学んだとき、教育の道に何故興味を持ったのだろうと自問自答しました。
そのときには過去にボランティア活動で少年自然の家であったり、現在の一企業の採用・教育担当として人を育てることに従事しているから教育という分野を深めたいと思ったのかなと自己分析しました。
しかし、様々な視点から『教育』というものを捉えてみると、『何故、教育するのか?』という問いを、こう言い換えることもできると気づきました。
“ 私たちは何のために教育を受けてきたのか? ”
そして私はこう考えています。
“ 教育は未来を生きる力を養うためにある ”
自分なりに、この答えに行きつきました。
今回は自分なりに見つけた『教育は未来を生きる力を養うためにある』のではないかという私の想いを綴りたいと思います。
求められる能力と変わらない教育
例えば「将来、どのような社会が起こり得るのか?」また、「世の中に出たときにはどのような能力が必要になるのか?」といったことを考えながら、教育していくことが基本的な考え方だと思います。
事実としては歴史の教科書で習った通り、ほんの半世紀ほど前は、子どもたちが小さい頃から大きくなるまでの間に世の中が必要とする能力には、そこまで大きく変化はなかったのでないかと思います。
それは職業というものへの意識は家族間(親子間)の中で培われ、農家の子は農家になったり、商人の子は商人になったりと、子どもたちの目の前にいる大人たちの暮らしがそのまま自分たちの将来として未来に広がっていました。
しかし現在、テクノロジーの進化はめまぐるしいものがあります。
1年に1度行われている世界経済フォーラム(通称:ダボス会議)では2012年から『10年後に世界で必要とされるスキル』や『職業の変化』などについて議論されています。
そして、このダボス会議の中で発表された研究結果として一説には以下の内容が記されています。
その内容をクイズ形式で問いたいと思います。
2012年現在、今生まれてきた子どもたちが20年後(2032年)に就く職業の65%の職業が○○になっている
いかがでしょうか?
どのような答えを思い浮かべますか?
この質問でよく出てくる回答は「AIにとって代わられる?」「自動化される職業?」「Web系のモノになっている?」などです。
しかしながら実は違います。
この研究結果では…
2012年現在、今生まれてきた子どもたちが20年後(2032年)に就く職業の65%の職業が “ 現在にはない職業 ” になっている
と記されています。
そう、私たちの子どもが大人になる頃までには65%以上の仕事が「今はない仕事」に取って代わるというものなんです。驚きですよね。
しかしながら、振返ってみると意外と当てはまっているんです。
数年前に小学生のなりたい職業No.1に輝いた「ユーチューバー」は2012年時点では職業として認識はされていませんでした。
さらに「eスポーツ」というゲームの大会の優勝賞金が数億円になるといったことも予想されていませんでしたし、そこから「プロゲーマー」という職業ができ、いま「プロゲーマー」と聞いても職業として認識できるレベルになりつつあります。
そんな中で現在の教育のことを考えたとき、この50年間で教育の内容はほとんど変わっていません。
小学生のうちから英語を取り入れるようになったり、プログラミングを学ぶようにしたり、お金や資産についてのマネーリテラシーを高めてはどうかと検討されたりと、一部変わった点はありますが大きな変化はありません。
それは一体何故なのでしょうか? また、このままでいいのでしょうか?
今回は『変わり続ける未来』と『変わらない教育』における“ 未来 ”と“ 教育 ”の2つのキーワードを使って、これから必要な教育について考えたいと思います。
未来(future)について
未来と聞いてどのような世界をイメージされるでしょうか?
私が真っ先に思い描くのはこの人です。いや…人なのか?(笑)

さぁ、シルエットクイズです!
…というのは冗談で、著作権の関係でシルエットになっちゃってるんですけどね(笑)。
さて、誰でしょう。
「アルクマくん」ではありませんよ(笑)。
「ふなっしー」でもありません(笑)。
そう、ドラえもんです。
彼が生まれたのは今から約90年後の2112年です。
私自身、四次元ポケットから次から次へと出てくる「ひみつ道具」見てワクワクした子ども時代を過ごしてきました。
そんな彼の「ひみつ道具」にはどのようなものがあったのか覚えているでしょうか?
例えばこんなひみつ道具 …
『糸なし糸電話』
なんとこの道具は糸がないのに遠く離れている人と電話することができる! という電話です。 こんな道具があったらなぁ…。
って、これは『携帯電話』ですよね。
他にもこんな道具がありました。
『トレースバッチ』
なんとこの道具は体につけたり物につけると、それが世界中のどこにいても専用レーダーで場所がわかる! という優れた道具です。 こんな道具があったらなぁ…。
って、これは『GPS』ですよね。
しかし現在、こうやって私たちの目の前に当時は夢見ていたひみつ道具がどんどん完成し始めています。もちろん、まだまだできていないものもたくさんありますが…。
そうやってテクノロジーの進化が私たちにもたらしてるものは、『暮らしの変化』や『仕事の在り方』に対して変化を起こしています。
例えば「駅の改札口」はどうでしょう?昔は駅の改札口には駅員のおじさんがいて、切符をパチパチとしていましたが、現在ではほぼ見ることができない光景ではないでしょうか。
また、「銀行のATM」はどうでしょうか?この機械も昔は存在しておらず、銀行の窓口でお姉さんと現金をやり取りしていましたが、現在はATMで現金をやり取りしていますし、キャッシュレスという言葉が生まれ、現金を持ち歩かない人もいる光景が広がっています。
さらに最近研究が続けられ、実用段階に入ってきた自動車の自動運転技術はどうでしょう?もしこれが完成すればバスやタクシーの運転はほとんど不要になると言われています。
こうした『テクノロジーの進化が新しく仕事を変えていく』ことは過去にもたくさんありました。
今から約200年前の18世紀に起きた産業革命の時代には蒸気機関が開発され、蒸気機関の発達で「人々の仕事の在り方」が大きく変わりました。
例えば「馬がいらなくなった」り、「重労働をなくしながら、もっと効率的すること」だったり、さまざまな分野でいろんなことが開発できるようになっていきました。
そして私たちがいま生きている現在は『情報革命の時代』だと言われています。
「情報革命」も「産業革命」と同様に、コンピューターテクノロジーを使うことを覚えた人たちが、今まででは考えられないスピードで世の中を刷新するサービスを作り続けています。
「Google」や「Facebook」、「Twitter」、「YouTube」などのサービスは今まで10年かけて行ってきたことをたった1年でやってしまうほどのインパクトがあり、とてつもないスピードで進化を遂げています。
いまを生きている若い方たちやこの記事を見ている多くの方が、「Google」や「YouTube」といったサービスを使ったことがないという人はほぼいないのではないでしょうか。
こうしたテクノロジーの進化が「仕事を変えていく」ということが、わかりやすい例で1つあります。
「ナラティブ・サイエンス」
新聞の記事を自動的に作成する人工知能プロフラムです。
アメリカの大手の経済紙『フォーブス』はもう十数年前からこの人工知能プログラムを使って、経済ニュースを自動的にWebサイトへアップロードすることを行っていました。
コンピューターの凄いところは、人間では不可能とされている膨大なデータを24時間365日、常に監視することが得意なところです。
そして、例えば「株価情報として高値を更新した」ということが起きたときに、コンピューターがそれを瞬時に判断してニュース記事にしてWebサイトにアップロードすることができます。
ここで面白い点はこのテクノロジーで1番喜んでいるのは『誰』かという点です。
実は『記者』なんです。
仕事を奪われた記者が何故喜んでいられるのか?
それは、いままで「つまらないと思っていた仕事」がすべて人工知能がやってくれるようになり、その代わり自分たちはより「クリエイティブな面白い仕事」に注力できるようになったという事例です。
これは1つの例にしか過ぎませんが、私は『テクノロジーの理想的な在り方』ではないかと考えています。
教育(education)について
“ 未来 ” は次から次へとテクノロジーが生まれ変わって、仕事や暮らしの在り方が変わってきます
しかし、“ 教育 ” は変わっていかない。これからの未来の教育はどうしたらいいのでしょうか?
いまあるものを良くするだけではなく、これから未来のことを考えたときに確かなことが1つあるとすれば、それは『子どもたちがいずれ大人になるということ』です。
そうであれば、「未来をより良くするためには、もしかしたら教育が1番大切なのではないか」と思い、「よし、教育で何かやろう」というふうに考えたことができました。
現在、普通教育では一般的に「テスト」が導入されています。
私もそうですが、ほとんどの方が定期試験などの学力テストや受験勉強して入試というテストを受けてきたのではないでしょうか?
では改めて質問です。「何故テストをするのでしょうか?」
答えがどうであるかは定かではありませんが、「テスト」ではその人が「どれだけの能力を持っているか」を測ることが1番簡単でわかりやすいからではないでしょうか。
しかし、考えてみたいことがあります。
「膨大なデータの中から正しい答えを導き出す」のはコンピューターが最も得意とするところです。
例えば、ボードゲームのチェスでの世界では、トップ(チャンピオン)はもう人間ではなく人工知能です。
また、日本の将棋では、取った駒をまた使うことができるという複雑さもあり、電王戦と呼ばれる対局もありますが、勝率が優勢なのはコンピューターです。
コンピューターは人間よりも学習アルゴリズムが進化すればデータを覚えて答えを示すことがいとも簡単に行います。
ここからは私の個人的な希望的観測も入りますが、これからはテストの価値がどんどん下がっていくのではないか思います。
実際に企業の採用においては「テストでいい点を取るということが人間の評価」ではなくなってきてます。
日本ではまだ確証は持てませんが、世界ではもうテストで見ていた視点の価値はなくなってきています。
例えば「Google」での採用は学歴・成績を問わずとしています。
ただ入社に至る試験を解くためにはそれなりの閃きや閃くための基礎学力は必要そうですが…。
そして人事採用者も「学校の成績・テストの点数はその人の潜在能力を測るうえでは何の参考にもならない」と明言しています。
これが今の社会が求めているスキルなんです。
さらに先ほど紹介した世界経済フォーラム(通称:ダボス会議)では『10年後に世界で必要とされるスキル』が提示されています。

ではこれから、このようなスキルを身につけていくためにはどうしたらいいのでしょうか?
私たちはどのように子どもたちを教育していけばいいのでしょうか?
私なりの答えとしては…
“ 人間にしかできないことを伸ばせばいい ”
このように考えています。
『得意を活かす』ということです。
例えば「芸術的なセンス」や「人を感動させるような力」に代表されるのは『想像力』です。
『想像する力』(思ったことを具現化できるまで)というのは人間だけに与えられた特別な力ではないかと思いますし、今の段階ではコンピューターにはこれができません。(これから先はわかりませんが…。)
そして『想像する』ということは、テスト勉強をやるようにどんどん積み重ねるものではありません。経験を蓄えるという表現ではあっているかもしれませんが、勉強で身につくものではないと考えています。
知識を仕入れることは確かに想像には役立ちますが、言い換えるならば「ヒント」をもらっているのではなく「答え」をもらっているとも捉えられます。
『想像力』は「感覚」や「五感」を使いながら一部の環境の中でしか養えないものであり、その力を補う要素として知識が役立つのではないかということです。
では『想像力』がない場合はどうしてしまうのか…
インターネットにはたくさんの情報がありますし、本屋さんに行ってもたくさんのハウツー本やマニュアル本があります。
そんな便利な世の中で起こっている問題の1つとして「子どもの病気」を例題とするならば…
現実問題として、目の前に子どもが病気でいるのに、顔色や息づかい、匂いなどを全く無視して、インターネットの情報で何とか病気に対応しようとする大人が増えている
といった研究結果やデータあります。
これだと「感覚」はどんどん鈍っていきます。
また、「キャンプなどの自然体験」を例題とするならば…
「火を起こせずかまどでご飯が炊けない」という人が増えている
といったデータがあります。
今流行りの一人キャンプは別物かもしれませんが…。
確かに初めて行う体験であれば、それは仕方のないことです。
未知のことに対しては過去に経験した情報などをかき集めて対処するからです。
しかし、その初めてのことを頭で考えてもわかるわけがないんです。だからこそ、 「感覚」や「五感」をフルに 研ぎ澄まして、「鍋の蓋に触ったり」、「音を聞いたり」、「匂いを嗅いだり」することで中を想像することができます。
しかし、現状はどのような行動をとるかのか…。
スマホで調べます。 「かまどでのご飯の炊き方」と…。
別に情報を集めることは悪いことではありません。逆にとても良いことです。
しかし、そればかりやっていたのなら「感覚」が鈍ってしまいます。
何故なら、「ヒント」をもらっているのではなく「答え」をもらっているからです。
そう遠くない未来、最終的には「私の夢は?」とGoogleに聞くようになったり、Amazonからリコメンドで「あなたにふさわしい奥さんです」なんて言われるようになっているかもしれませんね(笑)。
笑ってしまいますが、笑い事ではない状況になりつつあります。
これでは「主従」が逆転してしまっています。あくまでも主は人間であって『想像力』を使ってテクノロジーを使っていかなければダメなのではないかと常々考えています。
想像力を向上させる退屈な時間の使い方
退屈な時間があると「人は自分の世界を想像し出す」ようになると言われています。
また、『退屈は想像の入り口』という言葉もありますが、情報があり過ぎると想像力が思考停止してしまいます。
もちろんスマホなどで情報を取ったり、リフレッシュのためにYouTubeなどを見ることもいいでしょう。
しかし、自然とふれあったり、ボーっと散歩してみたりすると、次から次へと内面の世界を自分で発掘し、想像力はたくましくなっていくものではないかと考えています。
そうやって想像することで、自分自身が想像するということを味わい、ファンタジーの世界を味わったその後に何を学んでいくのかが大切です。
私がぜひオススメしたいなと思っているのは『インプット(情報を集めること・調べること)をする際に「感情」を取り込むこと・盛り込むこと』です。
アウトプットされるアイデアは必ずインプットしたものから生まれます。
そのため、たくさんインプットすることは大切ですが、先ほどからお伝えしているように「答え」を詰め込むのではなく、自分の感覚を養うことです。
映画をたくさん見て感動することでもいいですし、旅行に行った先で出会った風景でもいいです。
そうして、そのときに感じたことを心に留めておくことで、違った情報を集めてくるときにも感情に引っ張られて別の情報がくっついてくることがあります。
教育の中でも1番してほしいことは勉強ではなく、こういったことを取り組むことで『自分のアイデアを形にするという力』を養ってほしいということです。
現在ではインターネットがあるおかげで自分のアイデアを世界に発表するのは簡単になってきました。
そして『インプット(情報を集めること・調べること)をする際に「感情」を取り込むこと・盛り込むこと』から、『自分のアイデアを形にするという力』を養うことでを、自分のアイデアを形にして、より具体的に世の中に提案できるようになります。
そういった力を身につけてほしいなと考えています。
しかしここで気をつけないといけないことは、先ほどお伝えした「テクノロジー」を先に持ってきてはダメだということです。
現在は早期教育ということで、次から次へとできるだけ早いうちに教えようという流れがあると思いますし、そういった流れに少し疑問を感じている方もいるかもしれません。
個人的に「テクノロジー」はある程度自分の内面性が確立した人に与えるべきだと思います。それができていない人に与えてしまうと、「感覚」を無視して知識に頼るような人間になってしまうと思うのです。
もちろんこのバランスが重要で、「感覚」と『想像力』を養うための体験と未来に備えた「最新テクノロジー」への教育(知識を持つこと)の2つのバランスを理想的な形で提供していくのがこれからの未来にあるべき教育の形だと思っています。
さいごに
20年後の未来について、もう一度最後に考えたいと思います。
私の教育学はあくまでも私個人の考えなので、これが本当に正しいのかは未来を見てみないとわからりません。
しかし、確実に確かなことが言えるとすれば…
“ 私たちの子どもたちは私たちの想像できない未来にこれから生きていくことになる ”
ということです。
だからこそ、私たち大人が子どもたちのためにできることがあるのだとすれば、『未来に本当に必要な教育』を考え続けることなのではないでしょうか?
この子どもたちというのは小学生や中学生だけではなく、もしかしたら就活生(大学生)や社会人数年目の若手社員であっても必要な視点なのかもしれません。
自己成長における教育・手助けと今後の予想できない未来に対応していく力は、テクノロジーがどんどん発展していくであろう情報革命の現代社会においては必須の力となるからです。
このことが自分なりに見つけた『教育とは未来を生きる力を養うためにある』ということではないかと思っています。
それでは今回はここまでです。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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